私の愛しいアップルパイへ
世界は虚無であるとする「ニヒリズム」に対抗する手段として、哲学と科学にならんで人間が持っている武器が芸術である。
おお、私はあなたに真実を教えよう。大理石像の如く冷徹になれば、世界に普遍的な目的はないし、どこまでいっても”おおよその世界”でしかない。理性的に考えればニヒリズムに抗うことはできないだろう。
にも関わらず、人間はニヒリズムを真に受け入れることなどできないと私は思っている。なぜなら、私もあなたも自分が生きていることを知ってしまっているからだ!
ではなにをすればいいのか。一般的に「仕事」と呼ばれるような目的論的原理に根ざしたあらゆる活動はニヒリズムの前に無力だ。
でも、芸術なら別だ。自らの生命を燃やして空虚に向かって「自分はここに居るんだぞ!」と叫ぶが如き芸術は、細やかかもしれないがニヒリズムへの対抗手段になる。
いや、むしろニヒリズムという抗いがたい現実を前にしてこそ、芸術はより鮮やかに燃え、意義深い仕事になるであろう!
音楽はニヒリズムとともにある。
▼今日はAbrahamの制作を進める。大きな流れがかたちになった。
貴下の従順なる下僕 松崎より
]]>私の愛しいアップルパイへ
数世紀にわたって、いやそれ以上かもしれないが、とにかく音楽を取りまく世界における最大の誤謬は「音楽は感情を描写し、それによって感情を共有するものである」とする考えである。
もちろん音楽は人に影響を与え、人の感情を突き動かすだろう。しかし、だからといって音楽そのものの内容が特定の感情を描写するものである必要はないのだ。ここは明確に分けて考えられなければならない。
なにより致命的なのは、感情を描写し人々と共有しようとする欲求が、音楽の根底にあるはずの衝動を、あの初期衝動を薄めてしまう点である。いや感情の描写と共有を試みれば、間違いなく表現の根底を支える衝動を丸めてしまうだろう。
さらに、この「音楽とは感情を描写し、それによって感情を共有するものである」とする考えはエスカレートし、それを言葉や視覚的なイメージを使って助長しようとし始める傾向にある。それは興ざめというものだ。
太陽の光を見れば、人は勝手にその光の中に祝福を感じるかもしれないし、憎しみを感じるかもしれない。しかしそれは太陽が感情を描写しようとした結果ではないのだ。太陽はただ自然に、純粋な状態でそこにあることで美しい。
かくの如く、音楽は自然で純粋であるべきだ。特定の感情を無理に描き出そうとしたり、演じようとしたり、同じ感情を多くの人と共有しようとする必要はない。これらはすべて後づけに過ぎない以上、害悪なものである。音楽は表現したいという自然かつ純粋な初期衝動のもとで、人の感情を自然かつ純粋に突き動かす。
その点においてハンスリックの音楽美論は正しかった。
音楽はささやくことも、荒れ狂ふことも、颯々の響きを立てることも出来る。然しながら愛情と憤怒とは唯我等自身の心が音楽の中へ移入したものに過ぎない。
一定の感情又は情緒を描写すると云ふ事は音楽自身の能力の中に断じて存在するものでは無い。
P.36
▼今日の1曲は製作中のEdward。順調に育っている。
貴下の従順なる下僕 松崎より
]]>先日、とある公園の中で、噴水の前の芝生にどっかりと座って我が音楽にとっての優先事項について考えた。そのときに作成したメモがこれだ。
まずもって注目すべきは漢字がほとんど書けなくなっているということだ。隣には我がコーチが居たのだが「カイホウ」とか「シュウニュウ」とか書いてるときはさすがの私でも恥ずかしかった。
次に注目すべきは三つの優先事項についてだ。第一の「カイホウ」は私が繰り返し言ってる衝動を解放することってやつだ。第二の「カッコイイ」ってのは他人に与える印象が良いかどうか、他人に感動を与えるかどうかだ。第三の「シュウニュウ」は生活基盤を支える収入のことだ。
この三つは独立した要素ではなく深く複雑に絡みあっている。誰かが「カッコイイ」と思わなければ「シュウニュウ」は発生しないだろうし、「シュウニュウ」が発生しなければ「カイホウ」に集中するのは難しいだろう。
だからこの三つをバランス良く推し進めていく必要がある。それは間違いではないだろう。ただ、私が一番言いたかったのはそうではない。むしろ私が言いたいのはこういうことだ。
「優先事項のために、最優先事項をおろそかにするのは最も愚かなことだ」
自らの衝動を解放すること。自由を体現すること。これは芸術の名のもとにおける音楽においては、いかなる状況であろうとも最優先されるべきだ。
冒頭に掲げた図が以下のようになってしまうのはとても恐ろしいことだ。
これでは倒立して歩いてるようなものだ。実に醜い。
三つのバランスをとろうということではなく、決して優先事項のために最優先事項をおろそかにしてはならないということを再認識した日だった。
貴下の従順なる下僕 松崎より
]]>これから作り込んでいく7曲の題名が決まった。小品を作り込んでいく段階になったら、それぞれの曲に題名をつけることにした。今回はこの7つを題名として採用した。
「1.Edward」「2.Abraham」「3.Taylor」「4.Scot」「5.Hank」「6.Ian」「7.Thomas」
見ての通り特別な意味をもった単語ではない。連番では覚えづらいので便宜上つけただけの名前だ。私は原則として曲名などいらないと思っているからだ。
そもそも私は音楽に標題を設けるのは反対だ。友情の素晴らしさや愛を伝えるとか、人生の儚さと破滅とか、反社会的メッセージとか、音楽においては、どれだけそんな標題を設けたところで嘘っぱちだと知ってるからだ。それに、本当にそういったことをやりたいならもっと他に効果的な表現形式がある。つまるところ文章を書いたほうがいい。
音楽はもっと純粋に衝動的なものだ。日常的に抑圧された衝動の解放運動だ。自らの心の内にある溢れんばかりの衝動、どこまでも空虚な世界の中で行き場を失った衝動。それを解放するほとんど唯一の場所なんだ。なりふり構わず、手加減なしの力で、空虚に向かって全力で体をぶつけられる場所だ。
言葉はつねに衝動のあとにやってくるものだ。だからどこまでいっても後付だし、嘘っぱちだ。ときには音楽の足をひっぱる。言葉の素晴らしさは音楽に直結しないし、その逆もそうだ。
考えてもみて欲しい。あなたの前にいる男が、人生に対する決意の力を引き出して「うおお」と叫んで立ち上がったとする。
あなたは「今なんて言ったの?」なんて聞き返すだろうか。聞き返さないだろう。それは野暮ってもんだからだ。音楽に標題をつける、曲名をつけるってのはそういうことなんだ。
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この2週間、いままで作ってきた100の小品をいやというほど聴いてきた。これから作りこんでいく曲を選考するためだ。
それでようやく決定したのが以下のプレイリストだ。思ったよりスジの良いアイデアがあったからここまで絞るのには苦労した。
トラックは10曲あるが2曲を組み合わせて1曲にするものがあるので、これで7曲分になる。
100の小品を作って、それを選考して曲を作りこんでいくというやり方を採用したのは今回が初めてだ。いままではアイデアを発想しながら1曲を作りこんでいたのだが、今回のやり方のほうがずっと理にかなっていることが分かった。
そういえばもう1つ新しい試みがある。この7曲を先行するうえで1人サポートを呼んだんだ。どんな物好きかって?我が28年に渡る慎ましい人生で出会った人物の中で、彼は私以外で最も私の音楽性に近い悪趣味を持った人間だ。
前のバンドで失敗して以来、音楽という鍵のかかる部屋の中に自分以外の人間を呼ぶのはどうも気が進まなかったのだが、考えが変わった。これは私の中で大きな変化だろう。
従業員が2名体制になっていよいよ工場らしくなってきたわけだ。
かような新しい試みを通して、この7曲は最高にクレイジーな7曲になるに違いない。ハッハ!
貴下の従順なる下僕 松崎より
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先日、川のほとりに座り込んで今後の制作ワークフローをじっくり練った。制作フローを整理して自分に最適な流れを作るのは実に重要なことだ。
これから100曲の小品からスジの良い7曲を選考し、7曲をパラレルで作り込んでいく。アイドルタイムを限りなく少なくしながらだ。
直近のスケジュールを整理するとこうだ。
・週に最低でも10~15h(10%程度)の作曲時間を確保する
・3ヶ月間で集中して7曲すべてを完成させる(1曲に17hほどかけられる想定)
■2014年9月
→4曲の第Ⅰ楽節(最も重要な楽節)をつくる
■2014年10月
→7曲すべての第Ⅰ楽節ができる
→2曲完成させる
■2014年11月
→7曲すべて完成させる
分かる!私の心の奥底にある臓腑の一番深いところでグツグツと煮えている情熱のマグマが反応しているのが!
貴下の従順なる下僕 松崎より
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100曲の制作を終え、次のフェーズは着々と進行している。
今は再度100曲すべて聴き直し特別スジの良い曲を選考している状況だ。そうしていると、アイデアを練りながら曲を作り上げていくよりずっと効果的だと思ったからだ。
最終的には100曲を7曲まで絞り込むつもりだが、いまは13曲まで絞り込んだ。7曲にしたのは、人間が同時に処理できる限界は7つだとなにかの本で読んだからだ。というわけで、あと6曲振り落とすまで選考に専念する。
ちなみに、いま選考に残っている楽曲は以下のプレイリストで管理している。
貴下の従順なる下僕 松崎より
]]>当工場に引きこもって人知れず作り続けてきた小品が先日ようやく目標の100曲を超えた。
「So What?」
実にいい質問だ。babyと名づけたこの作品群は、その名の通りいま赤子の状態だ。もちろん、これは私がやろうとしていることのほんのはじまりに過ぎない。展開部を持たないソナタが存在するだろうか!次のフェーズは決まっている。
不思議なもので、100曲も作っていると、スジの良い曲とそうでない曲が明確に分かれてくる。そこで、まずは100曲の中から最もスジの良い曲を7つ選ぶ。
そしてその7曲を作り込む。私の衝動をすべて注ぎ込む。また、楽曲たちには歌を入れる。そうすれば私の悪趣味をより一層ひき出せるだろう。そしてbabyを成人させるんだ。そうしたら今よりずっと開放的な気分になれるはずだ。
その経過はすべてここに記録として残していく。
貴下の従順なる下僕 松崎より
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とびっきりの夢想家である私らしく5年後の理想の1日ってのを考えみた。
すべてが自分の思い通りになったら何がしたいかって真剣に考えるんだ。何をしてもいいと言われると普通は何をしたらいいか分からなくなるもんだ。歳をとるにつれて自由と疎遠になるからだ。
だから私はこうやってあの手この手を使って訓練をしている。それが自由な発想を生み、自分の進むべき正しい方向を指し示してくれる。
そうしたら、のっぴきならない現実の中で心の奥底に抑えこんでいた本当にやりたいことに出会えるってわけだ。
2時間ほどかけて作ったのがこの表だ。最初の1時間はなにも持たずに公園でイメージをふくらませて、次の1時間で実際にかたちにしていった。
まずもって重要なのは午前中の時間だ。頭が一番冴えている最も貴重な時間。この時間をなにに使うかが最重要事項だ。
もちろんここはたっぷり作曲に時間を使う。何度考えたって午前中はそれしか浮かばなかったんだから間違いない。曲を作っているときだけは窮屈な人生を忘れられる。自分の奥底に隠れている衝動を開放できる。
普段、社会的な生活の中で抑圧されている衝動だ。自由で純粋で溢れんばかりのパワーだ。これを発揮し、これに触れているときこそ最高の快感を得られる。生きがいってやつだ。
途中でjMatsuzaki Factoryのメンバーを集めて音楽活動について話し合う。今はひとりでやってるこのjMatsuzaki Factoryも5年後には10名前後のチームになってる予定だ。メンバーは最高にクレイジーな奴らだ。
あとは調整作業といっても過言ではない。昼食前は人の楽曲を弾いてみたり、楽譜におこしてみたり、模倣したりして知識をインプットする。これが一番学習の効率がいい。昼食後は運動をしてバランスをとる。
夕方には1日の学びを文章化する。投稿先はもちろんブログだ。ブログに日記を書く。今日という素晴らしい日の出来事、感じたこと、学んだことを率直に書くんだ。SEOなんてケチくせぇことは言わねぇ。出版社もメディア会社もいらねぇ。ただ日記を書く。それが理想のブログの在りかただ。
作業時間としては10分しか入れなかったが、音楽活動を裏で支えているのはすべてFrekulだ。新曲が完成したら自動でFrekulが楽曲データを配信してくれる。作品は本当に必要な者だけに届く。トライブへのコメントやトライブからのコメントもFrekulが自動で届けてくれる。
だから俺は作品を公開するためにほとんど作業する必要がない。必要があったとしても10分だ。あとはFrekulがすべてをいい感じにやってくれる。だから私は安心して作曲に没頭できる。これが音楽サービスの理想型だ。
食事や入浴など、合間合間の時間は自宅で家族とともに過ごす。それから日替わりで信頼できる友人と一対一で会話する時間を持つ。孤独のうちでは人間はしぼんでしまうからだ。愛や友情といった絆は信念を支える基盤になる。
時間の経過とともに、この表も少しずつメンテナンスしていこうと思う。数年後のある日、自然と1日の予定とこの表が完全に一致するんだ。想像すると胸がデレッと甘くなる。
▼今日の一曲は夢とともに。
貴下の従順なる下僕 松崎より
]]>私の愛しいアップルパイへ
先日、道を歩いていたら久々に作曲の先生に会った。そう頻繁に会えるわけではないし、彼が先生だったということもうっかり忘れてちまうところだった。
その先生ってのは泣きじゃくる子供のことだ。歳にして3歳~5歳というところか。とにかく、泣いていた。ただ、泣いていた。
体全身を使って、脇目もふらず、恥ずかしげもなく。いんやぁ恥ずかしいなんて気持ちは一切ないんだろう。
何を言っているのかもよく分からない。泣いてる理由もよく分からない。おそらく自分でもよく分かっていないか、十中八九、理由なんてそう大したことじゃあなかったはずだ。
ただ泣いてるうちに自分の生命力すべてを外にぶつけたくなったんだ。込み上げてくる衝動が抑えられなくなって、一度溢れた衝動が抑えられなくなったんだ。
あの瞬間、あの先生より生き生きしていた人間はこの世にゃあ居なかったはずだ。他ではめったに見られない純粋なパワーだった。
先生を見るたびに、私はああなりたくて曲を作ってんだって思うね。
▼今日の一曲は泣きじゃくるように
貴下の従順なる下僕 松崎より
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