私の愛しいアップルパイへ
小さな頃から「恥」というものにものすごく敏感でした。
「馬鹿だと思われたらどうしよう?」「嘲笑されたらどうしよう?」「否定されたらどうしよう?」
人と話すとき、スポーツをするとき、食事をするとき、どんな些細なことに対しても常にこの感情との戦いでした。いつしか私は恥を避けるために自分の行動を頭から押さえつけることが習慣になっていました。「恥をかくくらいなら!」と。振り返ってみれば実に窮屈な生き方をしてきたと思います。ガッデム、、、
出会いはいつだって突然です。かくも繊細な心の持ち主だった私は、15歳の頃に出会ったある種の音楽に衝撃を受けました。心の底から湧き上がるドロドロとした衝動を、恥ずかしげもなく表現する彼らに衝動を受けたんです。
驚くべきことに、彼らは「恥」なんてまるで気にしていないようでした。むしろそれが長所であるかのように振舞っていました。体面などかなぐり捨てて、恥ずかしげもなく、自らのありったけの衝動をこれでもかこれでもかとぶつけてくる。
私が今まで押さえつけてきた衝動を代わりに解放してくれているような気すらしました。「そうだ、これで良いのだ」と勇気をもらいました。
私にとって音楽とは勇気と解放の物語だったわけです。
私が彼らに憧れ、尊敬し、私自信もそうなりたいと考えるようになったのは、まったくもって自然な流れだったといえるでしょう。
貴下の従順なる下僕 松崎より
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