私の愛しいアップルパイへ
前職であるシステム屋の生活が5年目を迎えた頃、私は夢を諦める寸前で立ち尽くしていました。バンドは解散、不安で気力もわかず、仕事はハード。右も左も真っ暗に見えました。
あの日、私はさんざ悩んだあげくに、2つのことを断念し、1つのことを決意しました。そのときの話をしましょう。
思えばあのとき、「バンドで食う」と漠然と考えていた私は、生まれてはじめて音楽家になるという自分の夢と真剣に対峙したのかもしれません。
◇音楽家にとって最高の幸せとは?
音楽家にとって最高の幸せとはなんでしょうか。音楽家の夢と言い換えてもいいです。
スタジオで演奏し続ける道もあります。舞台で歌うたいになる道もあります。会社に雇われて曲をつくったり、アレンジしたりする道もあります。同志とともにバンドを組む道もあります。
私にとっては、単に自らの純粋な音楽的衝動を、恥ずかしげもなく遠慮なく解放することでした。
以下の記事でもお話しましたが、それまで他人の目にとらわれて遠慮がちに生きてきた私にとって、それは純粋に「生きる」ということと同義でした。
「自らの音楽的衝動に従順であること」。ただ、これは単純ながらも実に難しい命題でもあります。
自らの音楽的衝動を貫こうとして、志なかばで死を迎えた芸術家の例をあげればきりがありません。だからこそ尊い夢でもあります。
ゴッホが生きながらえたなら?モーツァルトが生きながらえたなら?三島由紀夫が生きながらえたなら?
もしくは、社会の利害関係に取り込まれ、飼いならされたトイ・プードルみたいに衝動が丸まってしまう例も多いでしょう。
特に富や名声などの刹那的な快楽に抗うのは、人間にとって難しいものだからです。
◇断念した2つのことと、決意した1つのこと
冒頭の話に戻ります。断念した2つのことと、決意した1つのことの話です。
あのとき、断念した2つこととは「音楽で人に評価されようとすること」と「音楽で収入を得ようとすること」でした。
そして、その代わりに決意した1つのこととは「衝動のままに死ぬまで楽曲を作り続けること」でした。これが今の私の心の奥底にマグマを作っている源です。
私にとって音楽家になる夢とは、死ぬまで自らの純粋な音楽性を探求し続け、1つでも多くの楽曲をつくるということです。
山奥に篭って濃いコーヒーでも飲みながら、私の”屈折した美意識”を反映した楽曲をひたすら作り続ける。
そうしていれば、、、いえ、そうしているときだけは、今よりずっとスッキリした気分になれるはずです。
貴下の従順なる下僕 松崎より